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Kansai D&I News
2025.5.30 オピニオン

深層のダイバーシティが競争優位の源泉
――早稲田大学 商学学術院  教授 谷口 真美 氏

早稲田大学 商学学術院 谷口真美 教授

早稲田大学 商学学術院
谷口 真美 教授

企業が取り組むべき「深層のダイバーシティ」とは何か。ダイバーシティ・マネジメント研究の第一人者であり、経済産業省の人的資本経営の実現に向けた検討会の委員、多様性を競争力につなげる企業経営研究会では座長を務めた、早稲田大学商学学術院の谷口真美教授に、3回にわたってお話を伺います。第1回では、ダイバーシティの基本的な考え方や、日本企業の現状について聞きました。

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――「ダイバーシティ」という言葉は広く知られるようになってきましたが、企業が本質的にD&I推進に取り組む意義はどこにあるとお考えでしょうか。

 D&Iの他にDEI、DEIBなど様々な呼び方がありますが、ここではD&Iについてお話ししましょう。本質的とは、本来のめざす姿に合致した取り組みになっているかどうかです。D&Iのめざすゴールは価値創造です。多様な人材ポートフォリオを前提にして各人が独自の能力を発揮しつつ、個人が組織に帰属感を持つようなインクルージョンの取り組みを行うことで、結果として組織が価値創造し競争優位を構築すること。これが、企業が本質的にD&Iに取り組む意義だといえます。逆に社会からの要請に応えるかたちで、やらなければいけないといわれていることだから、という理由で受身的に取り組んでいるようでは真のD&I推進とはいえません。障がい者雇用や女性役員比率などの課された数値目標、ノルマを果たすためだけに取り組んでいては、価値創造にも競争優位にもつながりません。

――谷口先生は、ダイバーシティには「表層のダイバーシティ」と「深層のダイバーシティ」の2つのタイプがあると言及されていますが、その違いについて教えてください。

 表層のダイバーシティとは、年齢・人種・性別・障がいの有無といった、外観から判別しやすく、個人の意思で変えにくい属性です。それに対して深層のダイバーシティとは、KSA(Knowledge知識, Skills スキルand Abilities能力)や、それに紐づく経歴や価値観など、外観からわかりにくく、なおかつ個人の意思で選択しやすい属性です。

 表層と深層のダイバーシティを安易に結びつけ、「女性はこういう傾向がある」「Z世代はこういう人たちだ」と考えがちです。物事を単純化するのは、複雑な世の中を理解しようとするときの、いわば人間が生きていくための“術”の一つでもあります。でも、そのような決めつけをしていては、多様な人材をうまくいかすことはできません。表層のダイバーシティは客観的な指標にしやすいので、目標やルールとして示されることが多いですが、本当の意味で多様性をいかすというのは、深層の多様性をいかすことです。例えば女性の人材をいかすといっても、「女性」という表層ではなく、その人の持つ知識や能力をいかすことが価値創造につながります。しかし、そのためには個人について深く知る必要があり、そこまで取り組めていないところも多いといえます。

――日本企業におけるダイバーシティの現状を、どのように見ていらっしゃいますか。

 表層のダイバーシティに関しては、さまざまな指標で諸外国に比べて遅れているといわれていますが、どんな物差しで測るかによって評価は変わります。深層のダイバーシティに関する取り組みは、企業によってさまざまというのが現状です。人的資本可視化の流れで7分野19項目で「ダイバーシティ」が掲げられ、さらに人材版伊藤レポートでは「3つの視点、5つの共通要素」における「知と経験のD&Iの取り組み」が推進されたことで深層のダイバーシティも着目され始めました。知識や経験を多様化し、インクルージョンすることの大切さに気づいた企業は、中途採用を増やす、専門知識のある人材を採用するなど、取り組みを始めています。

 必ずしも大企業で取り組みが進んでいるわけではありません。自分たちは大手だから、日本国内の優秀な人材を獲得できるというような意識の企業では、ダイバーシティは進んでいきません。逆に、グローバルな視野で人材を獲得していかなければならないという危機感を持つ企業では、多様性への取り組みも進んでいるといえます。組織の戦略に基づいてどのような人材ポートフォリオをどのように認識し、どうマネージメントして成果につなげるのか。それを考えて人的資本管理を行っている企業と、そうでない企業との差が開いてきているといえるでしょう。

 多くの日本企業が、一生懸命ダイバーシティに取り組んでいるのになかなか成果が出ない理由の一つとして、企業戦略との連動性がないことがあげられます。この度、義務化された人的資本情報の開示そのものは、必ずしもトップがコミットしなくても人事担当者の作業だけで対応できます。そういう姿勢で、女性役員が何%に増えたなどの結果の数値を報告するだけでは、深層のダイバーシティは進んでいきません。企業戦略と結びつけた議論が必要です。

――最近、米国ではトランプ大統領が多様性政策撤廃の大統領令に署名をするなど、揺り戻しのような動きも見られます。このような動きをどのようにとらえていらっしゃいますか。

 日本ではいつの間にか多様性の取り組みすべてに対する反発の話になってしまっていますが、大統領令を読むかぎり、マイノリティとマジョリティの間の格差を埋める活動が行き過ぎているのではないか、それも特に表層のダイバーシティの格差解消の活動が行き過ぎているのではないかということです。公平性(Equity)とは本来、「経営戦略実現の上で必要な知・経験を持った人材が能力を十分発揮できるよう、制度や業務プロセス等において阻害される要因があればそれを是正するとともに、適切な機会を提供し、支援すること」(経済産業省「企業の競争力強化のためのダイバーシティ経営(ダイバーシティレポート)」)です。しかし、性別や人種といった表層の属性に基づいて優先的な採用、役職登用を行っているのではないか、白人男性への逆差別だ、能力を見るべきだとの反発が生まれています。「機会平等」と「個々人に応じた配慮」ではなく、(人種民族・ジェンダーつまり表層の属性に基づく)「結果の平等」になってしまっているのではないか。大統領令はこの点を問題視しているようです。それはある意味では正しい。なぜなら、価値創造につながるのは、先にお話しした知識、スキル、能力といった深層の属性だからです。

 社会ごとに、イデオロギーや価値観は異なります。アメリカでは、二大政党の入れ替わりによっても、イデオロギーが大きく変わります。ビジネスはその社会の一員として行うもので、企業市民として、その社会の価値観やルールに沿った行動が求められます。日本人はよく「世界では」と一括りにしがちですが、「世界」は多様です。ビジネスを行う国や社会の状況をよく見て、企業としてどういう取り組みを行うかを考えていく必要があります。

――D&Iに取り組む企業へのメッセージをお願いいたします。

 「D&Iに取り組めば業績が上がるというデータがあるなら、取り組む」というのは、取り組まないための言い訳でしかありません。そもそも、D&Iと競争優位性との間には、さまざまな調整変数、つまり「取り組みの方法」が関係しますから、一概にその効果を言い切ることはできません。そこで必要になるのが、D&Iの他社との差別化です。企業戦略に基づき、どんな人材ポートフォリオを作ってどうインクルージョンするか、そうするとどんなイノベーションが生まれるか。こういった仮説を立てて取り組み、検証して機能しないところがあればやり直すという仮説と検証を繰り返して、自社なりの仕組みを構築していくことが大切です。ビジネス環境が複雑化し不確実性が増している時代だからこそ、企業のそれぞれの価値創造につながるD&Iへの取り組みが求められます。